子どもには、努力より没頭することを
あっ!命の授業!
ゴルゴ松本
努力はいりません。
僕、少年院の子供たちに言っているんです。
「努力はいらないよ」って。
努力の怒は、「奴」+「力」
歴史の中でいろんな戦があって、
とくに女性が奴隷のように働かされた。
虐げられ、悔しさを噛みしめながら努め上げた奴隷の力が、
努力の語源。そして、
そんなどうすることもできない奴隷の心が「怒り」なんです。
そういう言葉ですから、
「努力」という言葉で努力できる人もいますが、
「もっと努力しなさい」と言われて、
心が押し潰されてしまう人もいます。
そこが言霊の怖いところ。言葉に悪い意味が入っていると、
その言霊の力にやられてしまう人もいる。
だから僕は、「努力はいらない」と言うんです。
好きなことならとことん、没頭したらいいと思います。
もしかすれば、今の時代には、努力という言葉は
当てはまらないのかもしれません。
努力はどちらかというと、歯を食いしばって、一生懸命、目標に向かって頑張るということ。
それは、何かを犠牲にして、自分に負荷をかけてすることである。
子どもに勉強しなさいといっても、親から言われて真剣する子どもはまずいない。
やらされているから、真剣にならない。
手を抜いてしまうから、親子関係はうまくいかない。
子どもには、勉強する時期があるのかもしれない。
仲の良い友達の成績が良くて刺激を受けたり、学校のテストが始まったり、志望校が決まった時など。
親があれこれと言っても、結局するかどうかは自分自身である。
勉強が苦手なら、他に生きていく方法はたくさんある。
大学に行くことがだけが、全てではないと思う。
先日、小学校の同窓会に行ったのだが、勉強をサボっていた友達が、
りっぱに同窓会の司会をしていた。
いまは携帯会社の店長で、子育てをしながら頑張っていると。
人生で頑張り時はあると思うのだが、もしかすれば、その友達はいまが頑張り時なのかもしれない。
今の子どもたちは、努力という言葉ではなく、没頭という言葉の方がしっくりとくるのかもしれない。
努力はどこか、生きているうえで負担をかけていると思う。
大谷選手は、とてつもない努力をして、素晴らしい才能に恵まれて、メジャーリーガーとして活躍できている。
でも本人からすれば、野球の練習は努力ではなく、野球の練習は生活の一部になっているのだと思う。
ご飯を食べると同じように、練習をしているだけ。
野球が好きで、没頭できたからこそ、今の活躍があるのだと思う。
子どもが没頭できるものがあるということは、親としてとても有り難いことかもしれません。
それは生きていて、楽しいということだからです。