人生は真面目すぎず、楽しんだほうがいい。
人生は「楽しむため」に存在する。
著者:小林 正観
「人生は修行の場である」
「修行することが目的である以上、人生には苦しみや悲しみが多くて当然だ」
「人生は、つらく悲しいものの集積である」と
考える人がいます。「目の前の出来事はすべて『修行』のために存在している。悩みがあるのは当たり前だ。
だからこそ、立ち向かったり、我慢や忍耐をしたり、乗り越えたりしなければいけない。」
そう考えることで、もしあなた自身の生き方がラクになるのであれば、「人生=修行」と
とらえても、別にかまわないでしょう。ただ、「宇宙の構造」は違うらしいのです。
人生は「修行の場」として設定されているわけではないようです。
人生は、「修行の場」ではないとしたら、何でしょうか?人生は、「喜ばれるための場」であり、「感謝をするための場」であり、なによりも、
「楽しむため」に存在しているようなのです。「人生は苦しみに満ちていると、悲観にくれてばかりの人」や、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句ばかりの人」に
比べれば、人生を「修行の場」と位置づけ、「乗り越えていくしかない」「我慢するしかない」と考えている人のほうが、
まだ一歩も二歩も前進していると思います。でも、それではまだ、「途中の段階」
私たちが「肉体を持ってこの世に生まれてきた理由」は、「人生を楽しむため」にはほかならないと思います。
真面目に生きてきた人は、とにかく楽しむということが難しい。
仕事も子育てもしなければならないという気持ちが強く、余裕がなくなってしまう。
20.30代の時は、必死で頑張ってきた人も多いと思います。
周囲に迷惑をかけれないと、ちょっとした風邪でも我慢して仕事をしてきた人も多いはず。
だがコロナで濃厚接触者となった場合は強制的に休まないといけない。
20.30代で必死に休まずに頑張ってきたが、ウソと思えるぐらい、簡単に休むことができてしまった。
今まで一生懸命に働いてきた人は、濃厚接触者の期間は、実は必要な休みだったのではと思えるといいですね。
家族と一緒に過ごせたり、仕事から離れる時間ができた方も多いのでは。
柔軟に生きる方法を自分なりに考えて、真面目になり過ぎず、ちょっとしたイレギュラーを楽しむ余裕が大切ですね。
わたしも昔、会社の上司から「頭にう〇ちがついている」と言われたことがあります。
簡単に言うと、相手への許容度が小さく、くそ真面目だったということです。
自分に厳しいひとは、相手にも厳しくなってしまいます。
ですので自分にも甘く、相手にも甘く、ちょっと真面目ぐらいでいきましょう。
少しぐらい仕事を休んでも、案外、会社は回るものですから。
40代以降はボチボチ、やっていきましょう。